蒼月の揺

 空が黄昏に染まる頃、ヴィルダとリーグの二人は再び町の大通りへと向かった。薄暗くなり始めた通りには、昼間とはまた違う活気に満ちあふれ、店先や露天に灯るランプの明かりが通りを行き交う人々の姿に深く陰影を刻む。
 相変わらず人目を気にしながら、俯いたままリーグの半歩後ろを歩いていたヴィルダは、通りに灯る明かりが、足元に曖昧な輪郭をいくつも作るようになる頃、ようやく顔をあげて露天の店先に時折足を止めるリーグの隣に立って、一緒に店先を覗き込むようになった。
「どう、だいぶ慣れてきた?」
 その声に隣に立つリーグの顔を見上げてから、ヴィルダは再びゆっくりと視線を落とす。
「よくわからないけど、下を向いてればいいかな」
「そんな事しなくても大丈夫だって」
 そう言いながらリーグは被っていたマントのフードの端をつまんで深く引き下ろし、そのまま腰を屈めながら俯いたままのヴィルダの視線に合わせるようにして、その顔を覗き込んだ。
「ほら」
 そう言いながら口元に笑みを浮かべるリーグの顔は、目元は薄暗く陰りその表情をはっきりと伺い知る事はできない。ヴィルダはリーグの言いたい事を理解すると、目深に被っていた自分のフードの端を両手でつまんで深くため息をついた。
「早く慣れなきゃいけないってのはわかってるんだけど」
「昼間の時よりはマシになってるじゃないか」
「でもいつまでも甘えていられないよね」
 そう言いながら深く大きなため息をついたヴィルダは後ろを振り返る。その視線の先、通りの向こうの空はすっかり日が暮れいくつもの星が煌めいていた。そしてそんな星空を切り取るように暗い闇に染まった山の稜線が静かに横たわる。リーグはヴィルダがその景色に見ている別のモノには気づかないふりをして、まるで興味がなさそうに頭の後ろで手を組み周囲を見渡すようにしてから、遠くを見つめたままのヴィルダの横顔に声をかけた。
「どうする? もう少し何か見ていくか?」
「でも買い物も済んだし、そろそろ戻らないと」
 その言葉に結局リーグは、町に出かける前に見た不機嫌そうなハイエルフの顔を思い出してしまう事になり思わず肩をすくめた。
 昨夜リーグ達の元にアーブルヘイムから戻ってきたフェトーは明らかに雰囲気が変わっていた。それはリーグが初めてヴィルダに連れられてフェトーに出会ったあの時に感じたものと酷似していた。ハイエルフの持つ金色の瞳に射抜かれるような冷たい眼差し。それをリーグだけでなくヴィルダにさえ容赦なく向けていた。しかし彼が感情をあからさまに表に出すのには何か意図する事がある物だろうとリーグは考えていた。しかしその意図の真意がわかるわけもないリーグには、なるべくフェトーの側からヴィルダを離しておく事。それくらいしか出来る事はなく、こうして日が暮れるまで外を歩き回っていたのだったが、日が暮れたこの町にはまた別の気になる問題がある。
 この町はエルフの聖地アーブルヘイムの目と鼻の先、この通りを歩く人々の中にもわずかではあるが何人かエルフの姿があった。彼らの中にフェトーと同じようにハイエルフであることを隠している者がいないとも限らない。
 そんな漠然とした不安感にリーグはもう一度辺りを見回してから、ヴィルダの提案に頷いた。
「そうだなぁ、あいつなやけに機嫌悪かったし、なにか機嫌がなおりそうなもの買って帰るか」
「うーん、そんなのあるのかなぁ」
「そんな事言わずに、むやみに八つ当たりされる俺のためにも探してくれよ」
 落胆した様子で大袈裟に肩を落とすリーグの姿に、ヴィルダは思わず吹き出して笑う。その声にリーグは顔をあげると小さく頷いてから笑ってみせた。

* * *

 それは再び歩き出してからさほど時間はかかっていなかった。
 不意に町のざわめきの気配が変わる。まるで重く張りつめるような感覚と息苦しさを感じる気配に足を止めたリーグは、短く息を吐いて呼吸と指先の意識を合わせてから、気配の流れてくる道の先を視線を向けて表情を固くする。そんないつもとは違うリーグの雰囲気にヴィルダも気付くと、リーグの背中に隠れるようにしながら同じように道の先を眺めていたが、その気配の正体に気づいたのか、リーグの背中に縋り付くようにして身を潜めた。リーグは手の触れている場所から伝わってくる怯えた様子を感じながら、そのままゆっくりと道の端へ寄り、露店の間の陰へと移動した。
 やがていつもとは違う町のざわめきと引き換えに通りに姿を見せたのは、背の高い二人組の男だった。しかし明らかに人とは違うその雰囲気は、彼らがエルフそれもハイエルフである事を如実に表していた。滅多な事では人前に姿を見せる事のないハイエルフに、道行くは旅人達は一様に驚いているのはもちろん、聖地の山の麓のこの町の住人達でさえも、軽装ではあったが帯刀をしている様子を隠す素振りを全く見せない彼らを、息を潜めるようにしながらその行方を目だけで追っていた。
 そんな周囲の視線を気にする様子もなく通りを歩いていく彼らは、やがてリーグ達が店陰に佇む店の前を通りかかる。リーグは背中に触れているヴィルダの手が震えているのを感じながら、黙って目の前を通り過ぎて行く様子を町の人々と同じようにして視線だけで見送ると、彼らの背中がはっきり見えるようになってから、呼吸を合わせていた指先から意識を外した。
 それと同時にハイエルフの一人が足を止めて振り向いた。風に揺れた鈍色の髪越しに見える金色の光に、リーグは心の中で小さく舌打ちをしてから僅かに眉をひそめた。
「ギュミルの騎士がこんな所で何をしている?」
「へぇ……さすがに目聡いな」
 予想していたものとは少し違っていた問いかけに、リーグは首元を左手で緩く撫でた。そしてマントの襟元から僅かに覗く軍服の襟章の端に触れてから腰に手を当てると、その下にあるものの存在をまるで知らしめるかのようにして、その手に視線を落としてからゆっくりと視線をあげた。
「ま、お前達と大して変わらない理由だと思うぜ」
 その言葉に僅かに苛立の色を滲ませた冷たい金の光に、リーグは大きく肩をすくめると、口の端だけで笑い返して見せた。そんなリーグの表情にハイエルフは黙ってみつめていた視線を外すと、そのまま顔を背けるようにして踵を返した。
「そう言うお前らはなにしてるんだよ?」
「答える必要はない」
 そのまま立ち去ろうとした背中に問いかけた言葉に、振り返る事なく短く答えただけの二人を、リーグは通りの向こうの闇に消えるまで見送ってから、息を吐き出すように大きくため息をつく。そして一連のやり取りを見守っていた周りの人々が、伺うように視線を向けている様子に気付くと、リーグは肩をすくめて苦笑した。
「あんた騎士様だったのかい? あいつらに声をかけられるのはさすがだね」
「まぁね、お忍びだったんだけどなぁ」
 驚きと羨望の感情が混じる住人達の言葉に頷くと、町の住人達は安堵に似た表情を浮かべてから、リーグを囲むようにしてそれぞれ密やかに声を上げはじめた。
「いつも思うけど、あの人達は一体何を考えているのかしら」
「人間を見下しているんだろ。あいつらには俺達なんて居ないも同然なんだろうさ」
「あの人達怖い」
「騎士様、王様にお願いしてあの連中をこの町に来させないようにしておくれよ」
「なんであんな化け物が居るんだろう?」
「どうか私達を守って下さいお願いします」
 自分たちでは何も出来なくても、騎士にお願いすればなんとかしてくれるのかもしれない。そう考えるのは当たり前の事。まるで堰を切ったように口々に不満や嫌悪に似た言葉を並べていく人々の話を、リーグはただ黙って聞いていた。次第に熱を帯び語気が強くなっていくその言葉は、何の偽りもないそれぞれの素直な感情なのだろう。そしてその多くは恐怖の感情に満ちていた。
 相互不干渉で取り繕った裏側にあるもの。それは自分達とは違う力を持つ存在への畏怖によって、ただ黙って息を潜めているだけしかできない人々の重苦しく淀んだ感情が町を支配していた。

 そんな抑圧された感情を吐き出して気が済んだのか、やがてリーグを囲んでいた住人達は、それぞれいつもと同じ町のざわめきの中へと戻っていく。リーグはため息をついて緩く首を横に振ると、後ろを振り返っていつのまにか少し離れた暗がりで身を竦めていたヴィルダに声をかけた。
「えっと、ごめんな。いろいろと怖かったよな」
 謝罪の言葉に返事はなかった。代わりに小さく首を横に振るヴィルダに、リーグは近寄ろうと足を踏み出すと、ヴィルダは僅かに後ろに下がり体を強張らせる様子を見せる。その様子にリーグは緩く目を伏せるように瞬きをしてから深く息を吐いた。
 人間にとってエルフは恐ろしいもの
 エルフにとって人間は恐ろしいもの
 半分ずつ人間とエルフの血を引くヴィルダが、そのどちらからも負の感情を向けられたのは、おそらく初めてではないだろう。しかし深い森と絶対的な信頼を寄せる加護のない状態で、一人でそんな感情に晒されたのは初めてだったのかもしれない。それがどれだけの恐怖なのか、そして痛みなのかはきっとヴィルダ以外の誰にも推し量ることはできない。
 リーグは怯えた様子で俯くその肩に触れようと手を伸ばしかけたが、その手を緩く握って力なく下ろしてから誰に聞くともなく一人呟いた。

「私を守って下さい、か」


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