月白の風

 テュール大陸のほぼ中央には、ギュミルとタラニスの国境代わりの 「大地の裂け目」と呼ばれている、深い峡谷が横たわる。
 数百年前、まるで神の怒りに触れたかのような、雷鳴の轟音が鳴り響く空の下。 大きく揺れ動いた大地は、全てを呑み込むかのようにして深い闇の淵を開き、 一瞬で多くの命を奪っていった。 そしてそれは、長年に渡り日々争いに明け暮れていた、ギュミルとタラニスの暗黒の時代に、 終止符を打つきっかけとなった。と伝えられている。
 峡谷の底は遥か深く、両国は何度か調査の為に、その断崖を降りてはいたが、 未だその最深部は計り知れないまま。そのため両国を行き来するには、海上を船で渡るか、 この大地の裂け目の比較的狭い場所に架けられた、吊り橋を渡っていくかのどちらかしかなかった。
 片手で数えられる程の数しかない吊り橋の中で、もっとも幅の広い立派な造りの吊り橋の近くに栄える町。 ギュミル国境の町『アクラ』は、商人や旅人の多くが訪れ、いつも活気に溢れていた。


 数日前、国境警備でこの町に立ち寄ったリーグは、遠くない記憶を手繰り寄せるようにしながら、 目的の場所を目指して、人通りの多い通りを緑のマントを翻しすり抜けていく。 そんなリーグの姿に振り返る町人や商人達は、そのマントの下に垣間見える白い軍服に、 一様に僅かに足を止めては、それぞれ視線を向けていく。
「これはこれは、騎士様。またなにかご用でも?」
「ん? ああ個人的な野暮用だよ、心配するな」
 低い姿勢で畏まりながら声をかけた商人は、リーグと同じ姿を通りに探して、 周囲に見当たらない事を確かめると、愛想笑いを浮かべながら頭を下げて通り過ぎて行った。
 その様子に肩をすくめてから、リーグは緑色のマントの襟元を合わせると、 小さくため息をついてから通りを見渡した。
「やっぱこの格好だといろんな意味で目立つな」
 そう言いながら、振り返ったリーグの視線の先には、 黒髪のエルフと銀髪の娘の姿。
 二人に向かって白い軍服の襟元を引っ張りながら、肩をすくめてみせる様子に、 フェトーはその身に纏う軍服の意味と、この町の存在の意味を思い出していた。

 国境の町として栄えるこの町の役割と存在の、本当の意味を知る人間は少なくない。
 それはこの町がギュミルとタラニスの双方から、交流を黙認された場所であり、 作為的に解放された場所でもあり、まるで書類上の友好と表面上の平和を、 具現化した象徴のような場所だという事。 それは万が一、両国の均衡が破られた時、一番最初に戦場と化す場所でもあるという事。
 両国が友好関係を築き、大陸の平和を誓い合う。それは机上の綺麗な羊皮紙に描かれた『理想』
 だが国境を挟んで、両国が互いを憎み合う。そんな小競り合いが耐えないのが『現実』
 今はまだそれが些細な争いであったり、行き交う旅人同士の口喧嘩にすぎなくとも、 いずれ大陸全土を巻き込む、大きな災禍となる可能性を孕んでいる危険性は拭えない。
 だからこそリーグ達の様な、本来なら首都に居るべき王属の騎士団が、 時折物々しく隊列を組んで、警備と称して国境を進軍するのは、 絶対的な権力が持つ意味と、威圧的な武力を見せつける事で、人々に畏怖と嫌悪を深く記憶させる為。
 たとえそれが国家の平穏と安泰を、繋げて行く為に必要な事だとしても、 力で抑え込まれた感情は行き場を失い、薄暗く停滞して見つめる瞳を濁らせて、 騎士であるというそれだけの理由で、彼等の存在の全てを忌み嫌う者を産み出していく。
 平和な世界だからこそ必要な、怒りの捌け口。それが軍服に背負わされているものの一つ。

 リーグは頭をかきながら辺りを見渡して、通りに立ち並ぶ店の軒先の様子を眺めると、 衣料品を扱う一軒の店を指差した。
「先にあそこに行ってくるから、お前らはここで待ってろ」
「お前を待つ必要がどこに?」
「そんな事を言うと、またヴィルダが怒るぜ」
 その言葉に僅かに眉をひそめてから、視線を外すフェトーの様子に、 苦笑を漏らしたリーグは、背筋を伸ばしながらゆっくりと通りに視線を流した。
「お前らだって町に出てくるのは久しぶりだろ? ゆっくりすればいいじゃないか」
「長居は必要ない」
「だから即答すんなって」
 少しは悩む素振りでもしろ、と苦笑を返され、フェトーはただ黙って目を伏せると、 数日前、森を出て行く事をヴィルダに話した、あの夜の事を思い出した。

* * *


「どうして一緒に行かないの? 行き先は同じじゃないの」
「同じであるとは限らない」
 首を横に振るフェトーの言葉に、ヴィルダが視線を向けた先。 部屋の入り口にもたれ腕を組んで、黙って二人の話を聞いていたリーグは、 真っ直ぐ自分を見つめる視線に笑顔を返してから、同じように自分に向けられている鋭い視線に、 組んでいた腕をほどいて肩をすくめてみせた。
「俺は『一緒に行くか?』と聞いたんだけどな」
「だったら」
「同じとは限らないと言っている」
「でも私は何も……」
 少し語尾を強めたフェトーの言葉に、ヴィルダはおもわず口を噤む。 そしてそのまま視線を落とすと、続ける言葉を途切れさせて涙ぐむのに、 フェトーは小さく首を振ってため息をついた。
 そんな風に、さっきから何度も繰り返される、同じような二人のやり取りを、しばらく眺めていたリーグは、 肩をすくめてから「いい加減、観念したらどうだ?」と苦笑した。
「自分の大事な人を護る為に、他人に助けを求めるのは、当たり前の事だろ?」
 そう言いながら黙り込む二人の傍まで歩み寄ると、リーグはヴィルダの前に立ってから、 肩越しにフェトーに向かって口許を緩める。
「お前もさ、利用できるもんは利用しとけ、な?」
「お前になど護られなくても結構だ」
「いんや俺はただ仕事をしようと思ってるだけだ、こういうのも俺の『オ・シ・ゴ・ト』」
 苦笑しながら答えたリーグは、ヴィルダの視線にあわせるように身を屈める。
「あのな、俺の仕事の一つに、要人護衛ってのがあるんだよ。 『私の大事な人を護って』なんて頼まれて、目的地まで護るのが仕事なんだけど?」
「それじゃあ――」
 リーグの言葉に顔を上げて、顔を綻ばせるヴィルダの言葉を、 片手で制して奪い取ったフェトーは、黙って自分を見上げる視線から目を逸らし、 眉をひそめて首を振る。――が、やがて吐き出すように大きなため息をついた。
* * *

「本当にお前はヴィルダに弱いな」
 思い出したかのように笑うリーグの言葉に、返事もせずに視線を通りに向けたフェトーは、 リーグに背中を向けたまま腕を組んで、ふん、と一つ鼻をならした。
「お前はおせっかいで、馬鹿だ」
「ちょっ、まて。なんでそうなる」
「なに、見たまま、思ったままの素直な感想だ」
 見知らぬ他人の、理由も把握できていない事情に、首を突っ込んで手を差し伸べる。 その行為は献身や慈善から来るものであるのかもしれない。 だがそれは、自分の存在をその場に在って然るべきものと確定する為。 自分自身の保身の為に他人を利用するという、献身や慈善とは似て非なる行為であるかもしれない。 そう考えてしまうのは、自分達が隠し持つ闇のせいかもしれないが、 結果的に利害が一致するのなら、互いがそれぞれの思惑で、互いを利用しあえばいい。
 この先何が起きるのか、そして起きてしまうのか。それは自分にも誰にもわからない。
 だが何も見えないこの先に、それでもと差し延べるようとするその手は、 一体何を掴んでしまうのか、何を掴んでしまったのか、 自分自身も気がついていないのだから。

「結局どこに行っても、どこに居ても、何も変わりはしないんだから」
 呟くようなその言葉に大袈裟にため息をついたリーグは、背中を向けたままのフェトーから、 視線を通りに戻し、その目に映った光景にもう一度ため息をついた。
「そう言えばお前、言ってたよな『ヴィルダの本当の笑顔を見た事がないって』」
 背中を小突かれて振り向いたフェトーは、リーグが促す視線の先、 いつのまにか通りに立ち並ぶ店の軒先に立って、はしゃぐように笑うヴィルダを見つけると、 そのまま口を噤んで目を細めた。
「ああいうのじゃご不満か?」
 そう言って笑うリーグの言葉に、弾むように揺れる銀の髪から逸れた視線は、 飛び立つ白い鳥の羽が一枚風に舞い、遠く霞む草原の彼方へ白い雲が流れていくのを見上げた。


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