蒼月の揺

 磨かれた黒大理石の敷き詰められた、高い天井の大広間に固い靴音が響き渡る。

 どこか苛立を感じさせる足取りで大広間を横切っていくのは、上質な漆黒と緋紅の衣を纏い金の髪を靡かせる一人の若い青年。ただそこに存在するだけで威圧感を感じるさせるその風格は、まるで生まれながらにして統べる者として生を受けた、王者の風格さえ感じさせていた。
 それを裏付けるかのように、その青年の姿に居合わせた者は皆、姿勢を正し畏まると深く頭を下げる。しかし青年は畏まる人々の様子に一切目もくれず、一人足早に大広間を抜け回廊に続く階段を上がり奥へと進むと、剣を構える近衛兵が両脇を固めた豪華な装飾が施された扉の前ーー謁見の間と呼ばれる部屋の扉を睨みつけるようにして立ち止まった。
 青年の姿に踵を鳴らして姿勢を正した兵士達に、青年は扉を開けるように視線だけで促した。
「スクルド様がお見えになられました」
 その声に呼応するように、程なく金具が鈍く低い音を立て、謁見の間へと続く重々しく豪華な装飾のその扉が開かれる。「スクルド」と呼ばれた青年は、開かれた扉の奥から漂う荘厳な雰囲気にすら微塵も臆する事もなく、足早に部屋の中央へと歩を進めた。
 煌びやかな装飾と明かりに埋め尽くされたその部屋の両脇には、重厚な出で立ちの騎士や高貴な佇まいを醸し出す老人達が整然と立ち並び、部屋の中央を進むスクルドの姿に、畏敬と羨望と好奇と妬心の入り交じった視線を向けていた。
 やがてスクルドは部屋の最奥で足を止めると、その目の前の壇上で重厚な装飾と精巧な金細工を施した椅子に悠然と腰掛け、笑みを浮かべる初老の男を睨み上げるように目を細めた。
「一体何の用だ」
 壇上の男ーー聖地ノーアトーンと並ぶもう一つのエルフ族の国エーギル。その長であるハウゲンにスクルドは挨拶もせずに短く言葉を吐く。その不躾な態度にざわめいた部屋の気配に、ハウゲンは椅子の肘掛けにゆっくりと片肘をついてから、不遜に見上げる視線を見下ろし口を開いた。
「相変わらずよのう」
「社交辞令など時間の無駄だ」
 スクルドの後ろで一際ざわめく人々の様子に、ハウゲンはゆっくりと視線を向け鋭く目を細める。その仕草に部屋のざわめきは一瞬で静まり返り、代わりに満ちる張り詰めた空気の中で、なおも変わらぬ強い視線で見上げるスクルドに視線を移すと、決して媚びぬその力強い視線に満足そうに頷いた。

 鈍色の髪と褐色の瞳を持つハウゲンと、金の髪と金の瞳を持つスクルドには、なんの血の繋がりもなかった。だが生まれたばかりのスクルドがその身に宿していた、王者の風格と力に魅入られたハウゲンは、まだ赤子であったスクルドをその手元に置くと、まるで実の息子のように目をかけていた。
 力で統治されてきたエーギルにおいて、力を持つ者が権力を握るのは当然の事だとはいえ、まだ成人して間もないスクルドの存在を、疎ましいと思う者は少なくはなかった。しかしそんな幼い頃から周囲に与えられてきた枷と重圧を、容易くはねつけるような強い精神力と肉体を手に入れ、理想通りに成長したスクルドの姿それこそが、全ての力の源でありハウゲンが欲する全てであった。

「なに『お前の守護者』は最近何か変わった事を言ってはおらぬのか、と思ってな」
「回りくどい、何が聞きたいのかはっきりと言え」
 苛立ちを露にして眉をひそめたスクルドは、それでも黙って自分を悠然と見下ろすハウゲンを見上げてから、鼻を鳴らすようにして息を吐くと、緩く腕を組んでから見下ろす視線から顔を背け、仕方なくと言った表情で質問に答えた。
「別に何も『アイツ』はいつもと変わらない」
 その答えにやれやれとばかりに首を横に振ったハウゲンは、椅子の肘掛けに気怠そうに頬杖をついてから、聞こえよがしに大きな深い溜め息をついた。
「なんと。ではお前に聞いても無駄だと言う事か」
 その言葉に再び表情に険しさを滲ませたスクルドの様子に、ハウゲンは口元に浮かべていた冷笑のような微笑みを消すと、暗く、だが鋭い光をその瞳に宿して真っ直ぐスクルドの顔を見下ろした。
「本当に、何も知らぬのか?」
 その声色は先程までの悠然とした低い声とは違い、同じように低い声ではあったが、まるで暗闇の奥から轟くように、低く地を這うような声をして、張り詰めていた部屋の空気を震わせ響き渡る。部屋の奥で声を潜めて二人のやり取りを眺めていた騎士や賢者達は、その声に一層その身を竦み上がらせ息を呑む。スクルドもいつもと違うその声に、背けていた顔を戻すと眉を潜めながらハウゲンの顔を見上げた。
「何なら今ここに『アイツ』を呼んでやるから直接聞いてみればいい」
 そう言って不遜な笑みを浮かべたスクルドの言葉に、黙って二人のやり取りを聞いてた者達から滲みだす感情は、先程のような非難と嘲笑を含むような侮蔑や蔑称とは違い、スクルドが『アイツ』と呼ぶ守護者に対する畏怖と恐怖に満ちていた。
「まぁよい。なに、直に真実は見えてこよう」
 スクルドの言葉一つで畏れ戦いた配下の醜態に落胆したような溜め息をつき、ハウゲンは椅子の背もたれに背中を預けると、話は終わったとばかりに視線を空に彷徨わせてから緩く瞼を閉じる。その仕草を見上げていたスクルドは、同じように緩く目を伏せると、そのまま黙って踵を返し背中を向けた。
「スクルドよ、お前の守護者に聞くがよい」
 そのまま立ち去ろうとするスクルドの背中に、ハウゲンの低い声が届く。
「『対存在は今どこで誰と居るのか?』と」
 その声に足を止めたスクルドは、ゆっくりと肩越しにハウゲンを振り返ると、薄く笑みを浮かべて見下ろすその顔を鋭く睨みつけてから、来た時と同じように靴音を鳴らして開いた扉の向こうへと、一人姿を消した。

 

* * *
 
 


 天高く昇る二つの月が闇夜を照らし、吹き抜ける風が熱を帯びた大気を震わせる。岸壁で波が砕ける音と風の音だけが響き、無彩色の廃虚と化した古の神殿の跡に、月明かりに照らされた金の髪が揺れていた。

 漆黒の海を一人黙って眺めていたスクルドは、やがて胸に溜めていた息を吐き出すように長く息を吐くと、空に浮かぶ二つの月を見上げてから、短く自分の『守護者』の名前を強く言い放った。
「アルスヴィド!」
 その声に世界が一瞬音をなくす。 ――が、次の瞬間再び砕ける波の音と風の音が辺りを埋める。しかし予想とは違う周囲の光景にスクルドは眉を潜めて声を荒げた。
「話がある、出てこい」
 その声に廃墟に落ちる影の一つが蜃気楼のように微かに揺らめく。やがてその影は霧のように漂いはじめ、スクルドの目の前で静かに停滞し人影のような形を作り出す。スクルドは舌打ちをして腕を組むと諦めたように深く溜め息をついた。そんな様子に黒い影はまるで笑うように揺れ、同時にどこからともなく声が響いた。
――話だけならこれで十分であろう――
「ふん、出てくるのが面倒なだけだろう」
 鼻を鳴らしてそっぽを向くスクルドに、影は笑い声を上げ緩く揺れると、人の形を作る影の輪郭を濃くしながら、横を向くスクルドの目の前へと回り込む。
――今日はまた、いつもに増して機嫌の悪い――
「当たり前だ。お前はまた何を隠している?」
――隠す? 問われるまでは答えないだけの事――
 その返事にスクルドは眉をひそめた。

 問われるまでは答えを知っている事すら答えない。それが彼等のやり方である事はスクルド自身もよく知っていた。自分が何を知りたいのか何がわからないのか、それに自分自身で気付くまでは、目の前に答えがあったとしても、そして誤った選択をしていたとしても彼等は何も答えず沈黙し続ける。それが契約主の、そして彼等自身の破滅を招く事になろうとも。

 溜め息をつきながら視線を戻したスクルドは、人影の目にあたる場所に視線を合わせて睨みつけながら、昼間ハウゲンに言われた通りの質問を投げかけた。
「では聞く。お前の対存在は今どこに、そして誰と居る?」
 その質問の指し示す意味。それはこの国の多くの者達が恐れ慄くこの「守護者」である人影と、同等の力、もしくはそれ以上かもしれない対の存在が『今この世界に居るのか』という事。そしてスクルドにとってその答えは、この怠惰と虚飾に彩られるだけの平和な世界で、行き場なく溢れる衝動を吐き出し、容易く壊れてしまう一時の快楽や狂喜とは違い、全てを曝け出しても壊れぬ相手が存在しているかもしれないという事。そんな期待に似た高揚する感覚に、スクルドの口元は知らず緩んでいた。
 だが、返ってきた答えはそんな感情を、いとも容易く打ち砕く。

――……それは、わからない――
「なんだと?」
 僅かな沈黙の後、静かに答えた声に思わずスクルドは声を荒げると、目の前で漂う黒い影に詰め寄ったが、触れる事もできないその姿に舌打ちすると、睨むようにして眉を潜めた。
「お前がわからない訳がないだろう」
――それがよくわからない。私ともあろう者がな――
 彼等が決して嘘は吐かない、そんな事をする理由も意味もないの事は良く知っていた。だからこそまるで自嘲するような声に、スクルドは目を伏せるようにして首を横に振ると、険しく歪めていた表情を弛めて深くため息をついた。
「じゃあなんでもいい、何かわかる事はないのか?」
――アレは『こちら側』には『まだ』居ない、でも『向こう側』にも『もう』居ない――
 その言葉にスクルドは目を細めると、思考を巡らせるように視線を空に彷徨わせ、金色の瞳で天空に浮かぶ緋と蒼の二つの月を視界に捉えた。彼等が語るのはいつも真実。しかしその言葉の暗喩に気付かずに、いつも勝手に違えてしまうのは尋ね聞いた者の過ち。だが……
 しばらく月を睨みつけるように見上げていたスクルドは、やがてその口元に笑みを浮かべると、不確かな姿で揺らめく黒い人影に視線を戻して嗤ってみせた。
「なるほどな」
 その笑みを浮かべた表情と言葉に、黒い影はまるで笑い返したように揺らめくと、音もなく闇にその姿を溶かして一瞬の沈黙を連れて来る。やがて波と風の音だけが闇を埋める廃墟の中で、スクルドは天空に浮かぶ蒼い月を見上げながら、ひとり声を上げて笑った。

「『まだ』なら、こっちから出迎えに行けばいいだけの事なんだろう?」

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